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ハンドレページ H.P.42()とH.P.45は、イギリスのハンドレページ社(ハートフォードシャー、ラドレット)がインペリアル航空の仕様に基づいて1928年に設計した4発長距離複葉旅客機である。 H.P.42 / 45はインペリアル航空の陸上大型旅客機で、同社の後期の飛行艇群とともによく知られている。合計8機(両タイプ各4機)が製造され、すべて「H」で始まる名前がつけられた。1機は1937年の飛行船格納庫火災で焼失したが、残りは第二次世界大戦の勃発にともないイギリス空軍に徴用された。1940年までに全機が事故などで喪失したが、民間航空に従事している間は1名の犠牲者も出さなかった(現代の航空機では唯一の記録であると考えられる)。 == 設計と開発 == H.P.42は東方への長距離航空路用に設計されたもので、H.P.45はそのヨーロッパ航空路版だった。インペリアル航空での運用に当たっては、H.P.42は「H.P.42E(EはEastern(東方空路、この場合はインドと南アフリカを指す)の頭文字)」、H.P.45は「H.P.42W(WはWestern(西方空路、この場合はヨーロッパを指す)の頭文字)」と称した。H.P.42およびH.P.45の呼称はハンドレページ社内の識別符号で、当時は一般に知られていなかった。 H.P.42は上下翼の翼幅が異なる巨大な複葉機で、布張りの主尾翼および後部胴体以外は全金属製だった。上下翼はワーレントラス構造の翼間支柱で結び付けられていた。水平尾翼も複葉式で、3枚の垂直尾翼を持っていた。H.P.42は490馬力のブリストル ジュピターXIFエンジン4基で駆動したが、H.P.45は555馬力のスーパーチャージャー付きブリストル ジュピターXFBMエンジン4基装備であり、大パワーを得る代わりに燃料消費量を犠牲にしていた。いずれの型も、エンジン4基のうち2基を上翼に置き、他の2基を胴体左右の下翼に置いていた。 乗員区画は(新機軸として)密閉されており、客室は翼の前後に1区画ずつあった。H.P.42は前方客室に6名(のちに12名)、後方客室に12名の乗客を収容し、手荷物室も大きいものだった。一方H.P.45は手荷物室が縮小された代わりに、前方に18名、後方に20名の乗客を乗せることが出来た。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ハンドレページ H.P.42」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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